我が母校・桶中の校木は、泰山木だった。環境美化コンクールで毎年入賞していた桶中は、校庭に緑の多い学校だった。

正門は閉ざされていたので、いつも南側の入り口から登校していたが、一歩校庭に足を踏み入れると、緑豊かな木々がわ

たしたちを迎え入れてくれていた。泰山木がどこに植わっていて、具体的にどんな木だったのか分かっていない愚かな桶中

生のわたしだったが、泰山木の葉がどのようなものかは理解していた。それは、卒業文集を目にしていたからだ。わたしの

兄が卒業式でもらって帰って来た「泰山木」という名前の文集の表紙にその絵があったのである。大きな緑色の泰山木の

葉は、当時小学生だったわたしの目に凛々しく映り、桶中に行くとこの葉の茂った校庭で勉強が出来るのだと期待に胸を

膨らませたものであった。がしかし、そんな思いに浸ったのはほんの一瞬で、入学式を向かえて桶中の校庭に立ったとき

には泰山木の「た」の字も脳裏に浮かばなかったのは不思議である。それ以来、卒業式の日までその意識はついに目覚め

ることはなかった。そして、卒業式の日、わたしも兄と同様に卒業文集を手にすることとなった。そして、その表紙にやはり

泰山木の絵があった。あっ!と思ったがそのときはすでに遅く、卒業式を終えて家路に着いていた。であるから、桶中の

校木である泰山木については、葉だけ知っているという誠に中途半端な認識しか得られなかったわたしであった。

銀杏は、南小の校木であった。狭い校庭の西側に大きな銀杏の木が立っている。その光景は今でも変わらず、多くの樹齢

を重ねた太くて立派な銀杏の木は南小の象徴である。秋になると銀杏は実をつけ、葉の色と共に黄色さを目だ立たせてい

た。毎年行われる運動会では、この銀杏の木の近くに入場門が作られ、そこから選手はグラウンドへ出て行くのである。

運動会の苦手なわたしは、この銀杏の木を恨めしく思ったものである。お前がもっともっと大きく、今よりも太い幹に成長する

ことが出来たなら、お前の姿が邪魔できっと運動会は開催されることがなかったのではないか。お前のその半端な大きさは

許せない、そう思っていた。銀杏の実のギンナンは熟すと激しい異臭を放つ。野良犬が放った糞とこの熟したギンナンが並ん

でいると、どちらが強い異臭を放っているか嗅ぎ分けるのに苦労するくらいである。教室で真面目に黒板を見つめているのに、

この異臭が鼻に届くと一気にやる気が失せ、勉強などどうでも良くなってしまう。南小出身で勉強嫌いの人がいたら間違いな

くギンナンのせいである。ギンナンのバカ!。南小の卒業文集は、やはり校木から名前が付けられ「いちょう」であった。表紙

にはやはり葉の形がデザインされた絵が描かれていた。ワイングラスを思わせるあの形は特徴的で一生忘れることはない。

私が北小で思い出すものは、一にも二にもデンプン工場である。四校アール大会で北小へ出かけた時、鼻を突くようなあの

刺激臭がたまらなく印象的だったのである。その大会に勝ちたくて他校の生徒のやる気をそぐためだけにあのデンプン工場

があるのではないのかと話題になった。その作戦が功を奏して、わたしたちの年は北小が優勝しているはずである。あれは

実力ではないのである。大会のピークに合わせて工場の煙突から出る煙が激しくなったのは偶然とは言わせない。

泰山木と銀杏とデンプン工場、わたしたちの良き思い出の象徴として忘れることはできない。

ギンナンの臭さの中で育った生徒が鼓笛隊を作ったときベレー帽をかぶって演奏を行った。デンプン工場の臭いを嗅ぎなが

ら育った生徒が縦笛を吹くときは体育帽をかぶって演奏を行った。今となってはどちらが上手な演奏を行ったかの比較は出

来ないが、どちらがクサい格好で隊列を作って行進したかはおおよそ見当がつくのである。

ギンナンの臭さの中で育った学校の生徒と、デンプン工場の臭いを嗅ぎながら育った学校の生徒が、泰山木が植わっている

校庭で初めて出会ったときに毎年新しい歴史が生み出されて来た。そしていっしょに生活をすることによって、お互いにクサい

臭いの中で育って来たことを語り合い、一気に新しい仲間として認め合うことが出来たのである。まさに臭い仲のお付き合い

の始まりであった。泰山木というのは脱臭能力の高い木だったのだろうか。だって、南小から来た臭いヤツも北小から来た

臭いヤツも桶中に来た途端、臭いの心配のない生活が営めたのだから。